|
|
藤崎八旛宮は・・・
朱雀天皇の承平5年(935)に平将門、
藤原純友追討祈願のため、
山城国(現京都)男山岩清水八幡の
分霊を祀った5所別宮の1社で古い神社です。
祭神は主座が
応神天皇(一の宮)、
左は住吉大神(二の宮)、
右は神功皇后(三の宮)です。
旧神体の僧形八幡神座像と女神座像は
国の重要文化財に指定されています。
|
■ 住 所 熊本県熊本市井川淵町3-1
■ 電 話 096-343-1543
■ 御祭神 ■
応神天皇・住吉大神・神功皇后
■ 御神徳 ■
国家鎮護・海上渡航・交通安全・ 安産子育て
|
|
 |
藤崎八旛宮の由来
藤崎八旛宮は、京都の石清八幡宮の分霊だといわれ、
勧請(かんじょう)は朱雀天皇の承平5年と伝えられています。
承平・天慶の乱(平将門・藤原純友の乱)の鎮圧を祈って朝廷によって勧請されました。
茶臼山の西隅に社地(現在の県営野球場)を定め、
勅使が藤の鞭を地上にさしたところ、根付いて花を咲かせたので、
社名を藤崎宮としたといわれています。
鎮座以来何度も社殿の改築が行われ、大永2年(1522)の改築の際に、
後奈良天皇より勅額(ちょくがく)賜った際に『藤崎宮』と書かれていたので、
それ以後『旛』という字を使用するようになりました。
近年以降、藩主から庶民に至るまで熊本の総鎮守として信仰されてきました。
明治以降、社格制度の制定により、国幣社になりましたが、戦後、国の管理を離れ、
現在のように運営されるようになりました。
藤崎八旛宮は、神社をめぐる制度が変わりながらも県内の八幡信仰を代表する神社であり、
肥後の人々の信仰を阿蘇神社同様に持っていたのは違いありません。
|
|
 |
藤崎八旛宮の例大祭と放生会
藤崎八旛宮の例大祭は、神の御旅所への移動である神幸の行列と、宇佐八旛宮が起源の行事である放生会からなっていました。
放生会は各地の八幡宮で神仏分離令以前、広くなされています。
八幡信仰の中核的な行事であり、神仏習合の代表的な行事でもありました。
放生会とは中国ではじまった『殺生禁断』の仏教行事で、鳥や魚を野に放すことがなされていました。
朝廷が隼人(はやと)の反乱を鎮圧する際、宇佐八幡宮が荷担し殺した隼人の霊が災いをなしたことから、法蓮(ほうれん)と言う宇佐八幡宮弥勒寺の僧侶が、その霊を鎮めるために放生会を行ったのが八幡信仰での放生会のはじまりといわれています。
例大祭では、多くの団体が奉納に参加します。眞会もそのなかの一つの奉納団体です。
|
|
| 恒例の祭祀 |
|
御鎮祭(ごちんさい)以来、継承されてきた祭儀は年間に数十回に
及び、今も古例を尊び荘厳鄭重に齋行されています。 |
一月 睦月
元旦 歳旦祭(初詣)
三日 元始祭
五日 松囃子祭
七日 若菜献供祭
宮比祭
九日 射去祭
十一日 御庫開祭
十四日 穂垂祭
十五日 御粥献供祭
二月 如月
一日 月次祭
節分 節分祭
十一日 紀元祭
十五日 月次祭
三月 弥生
一日 月次祭
十五日 月次祭
十八日 人丸社際
廿六日 随神祭
四月 卯月
一日 月次祭
十三日 第一日祭 藤祭
十四日 第二日祭 藤祭
十五日 御当日祭 藤祭
五月 皐月
一日 月次祭
八十八夜 献茶祭
十五日 月次祭
六月 水無月
一日 月次祭
開運長寿祭
厄入・厄晴・還暦
古稀・喜寿・米寿・ 等
十五日祭 月次祭
廿七日 新町(御旅所)大祓式
卅日 大祓式(茅輪神事) |
七月 文月
一日 月次祭
十五日 月次祭
八月 葉月
一日 月次祭
十五日 月次祭
九月 長月
一日 月次祭
十○日 第一日祭
十○日 第二日祭
十○日 第三日祭
十○日 献幣祭
十○日 神幸祭
十六日 奉賽祭
十月 神無月
一日 月次祭
五日 日田社例祭
十日 六所宮初日祭
十一日六所宮初日祭
十五日月次祭
十一月 霜月
一日 月次祭
十五日 月次祭
七五三祝祭
廿三日 新嘗祭
廿五日 天満宮祭
十二日 師走
一日 月次祭
荒人社祭
三光宮祭
三日 武内社祭
十三日 御煤払祭
十五日 月次祭
廿三日 天長際
卅一日 大祓式
除夜祭
|
|
|

厄年・祝い年の年表です、お祓いご希望の方は社務所まで
ご連絡下さい。
| 厄入 |
| 男性 |
前厄 |
本厄 |
後厄 |
|
| 平成17年度 |
昭和40年生 |
昭和39年生 |
昭和38年生 |
| 昭和57年生 |
昭和56年生 |
昭和55年生 |
|
| 平成18年度 |
昭和41年生 |
昭和40年生 |
昭和39年生 |
| 昭和58年生 |
昭和57年生 |
昭和56年生 |
|
| 平成19年度 |
昭和42年生 |
昭和41年生 |
昭和40年生 |
| 昭和59年生 |
昭和58年生 |
昭和57年生 |
|
| 平成20年度 |
昭和43年生 |
昭和42年生 |
昭和41年生 |
| 昭和60年生 |
昭和59年生 |
昭和58年生 |
|
| 平成21年度 |
昭和44年生 |
昭和43年生 |
昭和42年生 |
| 昭和61年生 |
昭和60年生 |
昭和59年生 |
|
| 女性 |
前厄 |
本厄 |
後厄 |
|
| 平成17年度 |
昭和63年生 |
昭和62年生 |
昭和61年生 |
| 昭和49年生 |
昭和48年生 |
昭和47年生 |
|
| 平成18年度 |
昭和元年生 |
昭和63年生 |
昭和62年生 |
| 昭和50年生 |
昭和49年生 |
昭和48年生 |
|
| 平成19年度 |
平成2年生 |
昭和元年生 |
昭和63年生 |
| 昭和51年生 |
昭和50年生 |
昭和49年生 |
|
| 平成20年度 |
平成3年生 |
平成2年生 |
平成元年生 |
| 昭和52年生 |
昭和51年生 |
昭和50年生 |
|
| 平成21年度 |
平成4年生 |
平成3年生 |
平成2年生 |
| 昭和53年生 |
昭和52年生 |
昭和51年生 |
|
| 祝い年 |
| 男女共通 |
還暦 |
古稀 |
喜寿 |
傘寿 |
米寿 |
卒寿 |
|
| 平成16年 |
昭和19年生 |
昭和10年生 |
昭和3年生 |
大正14年生 |
大正6年生 |
大正4年生 |
|
| 平成17年 |
昭和20年生 |
昭和11年生 |
昭和4年生 |
大正15年生 |
大正7年生 |
大正5年生 |
|
| 平成18年 |
昭和21年生 |
昭和12年生 |
昭和5年生 |
昭和2年生 |
大正8年生 |
大正6年生 |
|
| 平成19年 |
昭和22年生 |
昭和13年生 |
昭和6年生 |
昭和3年生 |
大正9年生 |
大正7年生 |
|
| 平成20年 |
昭和23年生 |
昭和14年生 |
昭和7年生 |
昭和4年生 |
大正10年生 |
大正8年生 |
|
| 平成21年 |
昭和24年生 |
昭和15年生 |
昭和8年生 |
昭和5年生 |
大正11年生 |
大正9年生 |
|
 |
|
| 平成17年 |
男女 |
3 |
平成15年 |
ひつじ |
| 男 |
5 |
平成13年 |
み |
| 女 |
7 |
平成11年 |
うさぎ |
|
| 平成18年 |
男女 |
3 |
平成16年 |
さる |
| 男 |
5 |
平成14年 |
うま |
| 女 |
7 |
平成12年 |
たつ |
|
| 平成19年 |
男女 |
3 |
平成17年 |
とり |
| 男 |
5 |
平成15年 |
ひつじ |
| 女 |
7 |
平成13年 |
み |
|
| 平成20年 |
男女 |
3 |
平成18年 |
いぬ |
| 男 |
5 |
平成16年 |
さる |
| 女 |
7 |
平成14年 |
うま |
|
| 平成21年 |
男女 |
3 |
平成19年 |
い |
| 男 |
5 |
平成17年 |
とり |
| 女 |
7 |
平成15年 |
ひつじ |
|
 |
|
| 初宮詣 |
男 |
生後31日目 |
|
| 初宮詣 |
女 |
生後33日目 |
|
| 御祈願 種類 |
| 安産祈願 |
安産御礼祈願 |
初宮参り |
初節句 |
七五三詣で |
| 商売繁昌 |
家内安全 |
交通安全 |
車のお祓い |
海上安全 |
| 子宝授け |
五穀豊穣 |
良縁 |
身体健康 |
病気平癒 |
| 学業成就 |
入試合格 |
厄除開運 |
選挙当選 |
海苔祈願 |
| 消防祈願 |
養殖・栽培豊作 |
心願祈願 |
長寿祈願 |
旅行・出張安全 |
| 大漁満足 |
方災除け |
お礼参り |
就職祈願 |
各種人生儀礼祈願 |
|
祈願とは、お祓いによりご神前にて心静かにお祈りすることで、
神職がお願い事の祝詞を奏上しお願い事を大神様にお伝えします。
より慶んで頂こうと、お供え物や奉納を致します。 |
|
| 御祈願を希望される場合は、社務所までご連絡下さい。 |
|
|
  |
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |

|
 |
 |
 |
|
毎年、秋の大祭の最終日平成17年度9月19日には、通称『随兵』と呼ばれる
武者行列や勇壮な馬追いが市内を練り歩き、熊本最大の祭りが執り行われます。 |
 |
 |
「藤崎八旛宮秋季例大祭」は通称 「随兵(ずいひょう)まつり」 と呼ばれます
特に九月に、執り行われる、秋季例大祭は、昔より肥後の第一の大祭と称せられ、
熊本の年中行事の中では、最大のもので長い歴史を通して、『放生会』・『随兵』と
呼ばれて親しまれてきました。
随兵祭りの起源は「放生会(ほうじょうえ)」と言われています。
放生会(ほうじょうえ)とは仏教上の言葉で殺生を戒め、生き物(鳥や犬など)を野山に放す。
万物の生命を慈しみ、殺生を戒める神事です。
祭りをさかいに秋の気配を感じ、熊本では「随兵寒合(ずいひょうがんや)」といいます。
『 随兵 』 と言われるのは・・・
御神祭にお供をする列の中に、大鎧を着て、鍬形の兜を戴き馬上豊かに采配を振る随兵頭と、
これに従う百騎の甲冑武者、更に長柄と称する槍を持った、陣笠・陣羽織の士五十人を指揮する
裃(かみしも)・一文字笠の長柄頭、御幸奉行等の威風堂々とした武者行列の壮観を称したものを言います。
|
|
| 藤崎宮は熊本総鎮守として境内社が数社祀られています。 |
|
 |
藤井垣社
祭神 八旙大神
由来 承平の昔、当宮鎮座の日、勅使持てる
処の藤鞭を地中に埋め、
神霊若し感格あらば必ず
奇瑞あらんと祈念す。
此所に挟みたる藤鞭、
即ち枝葉を生ず、
故に名付けて藤崎と云ふ。
明治十年西南役後、本宮、
当地御移転と共に
その芽をこのこの地に移し植ゆ。
例祭 4月13、15日
|
|
 |
先師社
祭神 肥後武道先師
由来 大日本武徳会、熊本支部
武徳殿の敷地内にありし先師社を、
同会の解散により当所に移転。
|
|
 |
竹内社
祭神 竹内祢大臣
由緒 景行、成務、仲哀、應神、仁徳の
五朝に歴任して大功あり、
長寿を保ち世の長人と称せらる。
本宮御祭神との御縁由により
攝社として奉齋。
例祭 十二日三日
六所宮
祭神 加茂大神 春日大神
松尾大神 稲荷大神
八坂大神 貴船大神
由緒 寛永九年豊前大守、左少将細川
忠利当国移封、其の長子侍従
細川光尚、産土神たるの故を以て正保
元年豊前前国中津六所宮を
勧請鎮齋せらる。
|
|
 |
清原元輔歌碑
元輔は、寛和二年(986)京都から肥後守として
着任し、永禄二年(990)まで肥後の国府(現在の二本木町)で任務を執った。
ある年の正月、今の藤崎台球場の地にあった藤崎宮で『子の日の松』の行事を催し、この歌を詠んだのでそれにちなんでこの歌碑が建て書は藤崎宮宮司吉永千秋である。
元輔は枕草子の作者、清少納言の父で、元輔を祀った清原神社は、横手町北南にある。
藤崎の軒の巌に生ふる松 いま幾千代の子の日過ぐさむ
|
|
 |
御崎社
祭神 素盞嗚尊
由緒 本宮勧請以前より茶臼山に祀る
旧社地藤崎台の地主神なり
本宮と共に現在地に移転
例祭 十一月二十八日
|
|
 |
荒人社
祭神 左中将 橘能員神霊
由緒 神託のより之を祀る、本宮創祀の際
神輿を奉じ総官として下向、
其のまま神官に補任、社家の長官たり
例祭 十二月一日
|
|
 |
菅原社
祭神 菅原道真公
由緒 文政七年月日不詳、
和田萬助なる者土中より石厨子の如き
物を掘り出せり、依って近傍協議し爰に
鎮座すと言伝ふ。
明治九年教部省第三十七号達に基き、
同十年九月八日、熊本区寺原町より
当社境内に移転。
社殿 石祠
例祭 十一月二十五日
|
|
 |
三光宮
祭神 大己貴神
少彦名神
由緒 医薬の祖神にして
特に中風の病
災除けに霊験いやちこに坐す。
例祭 十二月一日
|
|
 |
日田社
祭神 鬼蔵大夫永弘
鬼蔵大夫永興
鬼大夫永季
三毛入野神
老松神
由緒 豊後日田の郡司にして治民の事躊躇著
なり、又勇武絶倫にして相撲道を
奨励せられる。旧肥後藩士財津氏祖神
たるの故を以て同族相謀り当地に勧請
例祭 十月五日
|
|
  |
|
|
|
 |
藤崎八幡宮秋季例大祭 眞会TOPページへ
|